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駐日英国大使主催「ラグビーワールドカップ2015 イングランド大会」開催記念レセプションに参加してきました。

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8月28日に駐日英国大使主催ラグビーワールドカップ2015イングランド大会開催記念レセプションに、英国アンバサダーとして、ご招待いただきました。

RUGBY IS GREAT ティム・ヒッティンス大使のサイン
▲「RUGBY IS GREAT」と書かれた大きなラグビーボールに寄せ書きを。
まずは、ティム・ヒッティンス大使のサイン。

ティム・ヒッティンス大使
▲挨拶をするティム・ヒッティンス大使
初めて直接お会いしたのですが、とてもカッコ良かったです。
少しスレンダーになられたのかしら?
それとも以前に見た写真の雰囲気が、ちょっと違っていたのかしら?
日本語が、とても上手だったのにも、驚きました!
(大使になるには、任地の言葉を勉強してからくるのかしら?)

そして、気づいたら、来賓の挨拶の間、すぐ横に大使がいらっしゃっていて、とても緊張しました。

今年、2015年9月18日から、英国でラグビーのワールドカップが開催されます。
今回は、そのイングランド大会の開催記念レセプションでした。
日本では、2019年にラグビーのワールドカップが開催されることが決まっています。
2019年と言えば、日本は、翌年2020年に東京オリンピックを控えています。
2012年にロンドンオリンピックも経験している英国には、2019年のラグビー・ワールドカップ、2020年のオリンピックに向けて、学ぶべきことが、とても多いのではないかと思います。
また、1980年代後半から1990年代の大不況から、どうやって立ち直ったのか?
そういう面でも、とても興味のある国、英国からは、いろいろと学ぶことが多いと思います。

駐日英国大使主催ラグビーワールドカップ2015イングランド大会開催記念レセプション 記念撮影
▲会見後の記念撮影。

森元首相をはじめ、ラグビーにゆかりのある議員さんや、ラグビー日本代表コーチ陣エディ・ジョーンズ ヘッドコーチ、スティーブ・ボーズウィック FWコーチ、リー・ジョーンズ DFコーチ。

ラグビーワールドカップ2015イングランド大会記念レセプション
▲日本代表のユニフォームを着たヒッティンス大使と、大会で選手を誘導する役に決まっているらしい少年、そして、元日本代表の松田努さん。

レセプションの食事
▲レセプションで提供された食事(iPhone5sで撮影)。

英国大使館にて
▲レセプションで提供された食事(Eos Kiss S50で撮影)▼
英国大使館レセプション
このミートパイが美味しかった♪
ほかほかだったからかな?

ほかには、フィッシュフライなども一口サイズでつまめるように、楊枝などを指して、ウェイターさんが「温かいうちにどうぞ」と勧めてくださいました。
温かいものは温かく、どれも美味しかったですよ。

さて、英国の食と言えば、「食の親善大使ハリー杉山さんです。
この日、外に移って、先ほどの、ヒッティンス大使と、少年松田努さんの会見を見ているとき、気づいたら、隣にいたのが、ハリーくんで、びっくりしました!
が、ハングル講座も見ているわたしは、「ハリーSii!ハングゴ、コンブハムニダ!」といきなり韓国語で話しかけてみました。(咄嗟だったのですが、後で思うと、もうちょっと韓国語をちゃんとしゃべるようになっておきたい。というか、英語じゃないのか?という。。。)
でも、冷静に日本語で、「あ、ハングル講座ですか!」と答えていただきました。

歓談中のヒッティンス大使
ヒッティンス大使と、ハリー杉山さん、日本代表コーチのスティーブ・ボーズウィックさん、歓談中。

ハリーくんは、一度、タックルマシーンにチャレンジしていたのですが、結果に納得いかなかったのか、再度チャレンジ。
そのときに、ハリーくんのiPhoneで、タックルするシーンを写真に撮らせてもらいました。
なかなか躍動感のある写真で、微妙だったのですが、ハリーくんのブログに掲載してもらえたようです!
お役に立てて良かった!
あ、もちろん、一緒に写真を撮ってもらいましたよ♪

タックルマシーン
▲ちなみに、こちらは、ハリーくんの一回目のタックルをわたしのカメラで撮った写真。。。
ハリーくんは、120台、わたしもチャレンジしたのですが60ジャストでした。
ほっそーいけど、やっぱり違うんですね。。。

ランドローバー社のレンジローバー
ラグビーワールドカップ2015 イングランド大会オフィシャルスポンサーランドローバー社レンジローバーも展示されていました。

エディ・ジョーンズ ヘッドコーチが、このワールドカップ イングランド大会で日本代表のヘッドコーチを退任されるそうです。
日本で開催される2019年ワールドカップまで務めていただけたら良かったのに、なんて、にわかファンと化しています。


ラグビーワールドカップ2015イングランド大会の試合は、スカパー!J SPORTSで放送されます!

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期間限定「PUB SHERLOCK HOLMES パブ・シャーロック・ホームズの帰還」を開催中のカフェ・クリスティに行ってきました。

急に思い立って、お昼にTwitterをチェック。
神田にある早川書房の、「カフェ・クリスティ」が、期間限定で「パブ・シャーロック・ホームズの帰還」になっていることを確認し、行ってきました!

「パブ・シャーロック・ホームズの帰還」

Twitterを見ていたので知っていたのですが、今日は、18時まで先着10名にドリンクサービスをやっていました♪早川書房のTwitterもチェックです!
ピンク色の研究(ノンアルコールカクテル)
▲ノンアルコールカクテルの「ピンク色の研究」をいただきました。

この日のドリンクサービスは、この「ピンク色の研究」(ノンアル)か、「ライヘンバッハ」というラムベースのカクテルから選べました。
ライヘンバッハ」は、青いカクテルで、原作では、モリアーティが死んだとき、「ライヘンバッハ」という滝にシャーロックと一緒に落ちたのだそうです。その滝のイメージですね。きれいでした。

あと、メスシリンダーでビールを飲んでいる人もいました。
ちょっとうらやましい、ビール苦手なので。。。汗

「パブ・シャーロック・ホームズの帰還」メニュー
▲期間限定「パブ・シャーロック・ホームズの帰還」のメニューは、こちら。

やっぱり、気になるのは、あれですよね?

エッグ・ベネディクト・カンバーバッチ風
▲「エッグ・ベネディクト・カンバーバッチ風」(1000円・税込)

どこらへんが「カンバーバッチ風」なのかは、わからないけれど。。。

エッグ・ベネディクト・カンバーバッチ風
▲卵を割ってみました!
このかかっているソースが、酸味があって、濃厚でした。
なにかのチーズが入っているとか、かなぁ?
美味しかったです!
ハムもたっぷりでしたが、意外とペロリと食べちゃいました!

このソースの、、、爽やかなのに、濃厚な感じが「カンバーバッチ風」とか?!

シャーロックグッズ
▲あの「I am ”SHER” LOCK」など、いろいろなグッズが展示されていたり、購入も出来る商品もありました。

モリアーティとジョン・ワトソン
モリアーティと、ジョン・ワトソン等身大パネルが奥にありました。
真っ先に、写真を撮りに行ってしまいました。
そして、最後にも、もう一回。。。笑

で、、、すみません。
シャーロックの等身大パネルもあるのですが、ホームズの衣装、あの印象的なコートハンティング帽で、シャーロックと一緒に写真を撮ってもらったので、シャーロックだけの写真が今回はありません。。。
ひとりで行っても、お店の人が撮ってくださるので、安心です。

マイクロフト・ホームズの等身大パネル
▲仕方がないので、マイクロフト・ホームズでお許しください。。。
こちらは、お店の外を向いてディスプレイされていました。
ユニオン・ジャックを背負って。。。

期間限定ですが、9月30日までなので、もう少し時間があります。
出来れば、ランチ限定のメニューも食べに行きたい。
そうそう、お会計のときに、スタンプラリーの用紙をもらいました。
1000円でスタンプ1個で、スタンプ10個ためると、なにかもらえるらしいです。
10個は、なかなか。。。
でも、他のメニューも食べたいし、、、「モリアーTea」が飲みたいです♪

cafe CHRISTIE入口
▲「CAFE CHRISTIE」入口。
早川書房の一階にあり、神田駅からも近いです。

クリスティ

夜総合点★★★☆☆ 3.7

関連ランキング:喫茶店 | 神田駅淡路町駅小川町駅

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「MorganFisherの世界」(MorganとUKのROCK HEROたち)Talk Showで思ったこと。

このイベントがあったのが、5月。。。
その後、バタバタしていて、書きそびれていたのですが、、、
やはり、この8月中には、書かなくては!と思いました。
※8月22日に、このときにも話に出ていた第2回が開催されるのも決定しています。

8月6日の朝、モーガンさんが、Facebookで書き込みをされていました。
モーガンさんの友達のお父さん(Derrick Woollacottさん)が、広島の原爆投下の3ヵ月後に、英国空軍の写真家として、日本に派遣されたそうです。そのときに撮影した写真を紹介されていました。
その写真は、原爆ドームが遠くに見える川で、ふたりの少年が魚釣りをしている様子でした。
※2015年12月5日から2016年1月8日まで、日本外国特派員協会で、写真展が開かれるそうです。

モーガンさんが、8月6日という、広島に原爆が投下された日を覚えていてくれて、そのことにFacebookで触れてくれた。
それがとても嬉しかったです。

5月のイベントのお話は、意外な話から始まりました。
1939年~1945年、この期間は、第二次世界大戦World War II)中でした。
この時代というのは、実は、この日、紹介されたロックヒーローの生まれた時代でもあったのです。
モーガンさん自身は、1950年生まれなので、すこし後になります。

モーガン・フィッシャーさん

日本と英国は、このとき敵軍になるのですが。。。(そんなことは二度とないようにしたいですね)
ロンドンでも大空襲があったそうです。
アメリカの本土には、空襲がなく、そこがイギリスとは大きく違う点だそうです。
そして、イギリスは、建築が石で出来ていますから、瓦礫の山が、しばらく残っている状態だったそうです。
日本の木製の建築のように燃えてしまうこともないので、日本のように「焼け野原」とはならないのです。
戦後、すこし経ってから生まれたモーガンさんも、そんな残っている瓦礫の山で遊んでいた記憶があるそうなので、かなり遅くまで残っていたと思われます。

戦争の中で生まれ、戦後の瓦礫の中で遊んで育った子供たち、そして、ちょっと後に生まれたモーガンさんが、ROCKと出会って、作っていった音楽とムーブメントが”グラム・ロック”。
初めて聴くお話がいっぱいのトークショーでした。
もちろん、キーボードも傍らに置き、ときどき弾きながら、歌いながら(?)、ビデオを流しながら、お話は「日本語で頑張ります」と、ほとんど日本語で話してくださいました!
すっごく楽しいトークショーでした。

終わりそうな雰囲気を醸し出していますが、終わりません。

モーガンさんの幼少時代

モーガンさんが小学生1年生のときに見ていたのが「シックス=ファイブ・スペシャル」(BBC)という番組で、これを見ていて「ROCKいいな」と思ったそうです。
この頃の、アメリカから入ってきたROCKと、イギリスでアレンジされたROCKの違いなどを、ビデオで較べてみたりしておもしろかったです。
ちなみに曲は「Train kept a rollin’」でした。
わたしは、エアロスミス、ハノイロックス、そしてシーナ&ロケッツの「レモンティー」で知っている、いろいろなバンドがカバーしている曲です。
原曲がロカビリーだなんて知らなかった。
そう言えば、ヤードバーズがカバーした「Train kept a rollin’」が、ヤードバーズを好きだったエアロスミスにカバーされて、アメリカに戻るというのも、その間に、アレンジがだいぶん変わってしまっているのも、おもしろいですね。

そして、この頃、イギリスで流行っていて、「シックス=ファイブ・スペシャル」でバンドが紹介されていたのが「スキッフル」というジャズやブルーズ、カントリー・ミュージックなどがもとになったアメリカ発祥の音楽だそうです。
何故か、手作りの楽器などを使うのも特徴らしいです。
洗濯板などを楽器にしちゃうみたいです。
このあたりも、「戦後で、楽器などがない、でも音楽がやりたい」というのがわかりますね。
このスキッフルで重要視されるのがギターで、ギターがメインのバンドでなのだそうです。
ちなみに、ジミー・ペイジが初めて出演したTV番組で、そのとき、13歳だったそうです。
そうそう、イギリスのバンドは「ギターバンド」と言われることが多いですが、このスキッフルがギター重視だったことが、影響しているとモーガンさんは言われていました。
これも初めて聴くお話でした。

この頃、モーガンさんの好きな曲は、ビートルズの「She Loves You」。
ピアノのおけいこをしていたそうですが、この頃、ジャズ・オルガンも流行っていたそうです。
それで、、、モーガンさんんもオルガンをやるんですよね。
モーガンさんの肩書きは「オルガン奏者」です。
聴いたときは、「おー!」と思ったけど、いまいち情報薄いですね。。。
でも、何故「オルガン奏者」なのか?気になっていたので、その理由がわかって、目から鱗でした。(そこまでじゃない?!)

15歳の頃のモーガンさんは、リズム&ブルーズが好きで、聴いていたそうです。
そう言えば、モーガンさんのデビューは16歳とか?!

ガイ・スティーブンズ(Guy Stevens)という名プロデューサーがいて、彼の手がける音楽が、ロンドンの音楽というイメージだったそうです。
ビートルズの音楽は、リバプール音楽で、やはりちょっと都会的ではない感じ?
MOTT THE HOOPLE」というバンド名も、彼が読んだ本のタイトルから来ているそうです。

MOTT THE HOOPLEというタイトルの本

モット・ザ・フープルもメンバーが出入りしていて、イアン・ハンターさんがオルガンを弾いたりもしていたんですよね。
ここで、「何故、オルガンなのか?」というのもあるのですが。。。
やっぱり、ジャズ・オルガンが流行っていたから、なんですよね?
ある日、メロディ・メイカーに載っていた求人に「オルガン奏者」の募集があったそうです。
そこには「アメリカに行ってツアーの予定がある」ということが書かれていたそうです。
そのオーディションに、モーガンさんは、ワインを片手に行き、、、合格したそうです。
そして、このアメリカ・ツアーの前座が、クイーンと、エアロスミスだったというから驚きです。
ちょっと凄すぎで、言葉がありません。
タイムスリップしたいです。
ジョン・ボーナムが来て、「ジャム・セッションしたい!」と言ったとかいうのも、このときかな。

MOTT THE HOOPLEの「オルガン奏者」求人

凄い話と言えば、モット・ザ・フープル解散の危機に、デヴィッド・ボウイが「解散してはいけない」と言って、プロデュースを申し出て、続けることが出来たのですが、
モーガンさんが入ったときには、ボウイのプロデュースは終わっていたそうです。
が、ハマースミスのライブにボウイが、ミック・ジャガーを連れて来て、バックステージで見て、踊っていたそうです。
これは、ニュースにもなったそうです。
そう言えば、ボウイとミック・ジャガーも仲良しだけど、マーク・ボランとも不仲ではなかったし。。。
何故、Brit Popの頃は、あんなにバンド間が仲が悪かったのか、不思議なくらいです。

この後、モーガンさんは、クイーンのツアーにサポートメンバーとして参加したり、、、
フレディ・マーキューリー追悼のイベントでの、ミック・ロンソンとデヴィッド・ボウイの共演のときの話、、、って、モーガンさん経由で知ってるんだな。

最後は、モーガンさんのいとこのニール・コンティさんが、デヴィッド・ボウイの「HERO」ツアーのサポートをしていたそうで、そのビデオを見ました。
このトークショーのタイトルにもなった「HERO」です。

かなり、もれてる話もありそうですが、とにかくすごい名前が出てきて、おもしろかったです。
モーガンさんの飄々とした日本語も楽しいです。

それと、Glam RockのHEROたちが生まれた時代、育った時代、そういう時代背景が聞けたこと、イギリスのROCKが何の影響を受けて、こうなっていったのか、そんな話がとても興味深かったです。
いくつか、謎が解けた感じがします。

ちょうど1年くらい前になりますが、コレクターズの加藤さんのお話で、「MODSが最初に流行った1958年は、イギリスの徴兵制がなくなった年」というのとあわせて、ROCKの流行も戦争の影響を受けていることがわかります。

PRETTY GREEN×ブリティッシュ・カウンシル コラボ企画「マジカル・ロックンロール・ファッション・ツアー!(カーナビー発~キングスロード経由~青山通り行き)」に参加してきました。

当事者のモーガンさんから、直接お話が聞けたのは、本当に貴重だったと思います。

キーボード弾きながらの、本当に楽しいトークショー&ライブでした♪