阿藤快さんは、小田原の出身の俳優さんでした。
小田原のお祭りやイベントにも、たくさん参加されていて、ぶっきらぼうだけど「小田原愛」を感じさせる人柄でした。
もちろん、阿藤快さんは、テレビでも、よく見ていたけれど、実際にお会いしたのは、小田原の板橋(箱根板橋)のイベントでした。
板橋を散策するツアーのガイドが阿藤快さんで、それに参加したときです。いや、阿藤快さんがガイドだから、応募してみたら、当選したのが、板橋散策ツアーだったのか?
板橋にある松永記念館の老欅荘(ろうきょそう)で、お話を聞き、その後、板橋を阿藤さんと散策しました。
それ以来、箱根板橋は、よく写真を撮りに行き、よい被写体がある、おもしろい街になりました。
「小田原用水」という北条氏が、戦国時代に作った日本最古と言われる上水道ですが、このときのツアーで初めて知り、小田原の歴史に興味を持つようになりました。
板橋って、戦国時代の北条氏の頃のもの(小田原上水)や、江戸時代のもの(旧東海道)、また明治~昭和に「老欅荘」などの別荘地だった頃のものなどが残っていて、歩いていても、本当におもしろいんですよね。
阿藤さんも、育ったのは、この辺りだったのかしら?
それから、「北条五代祭り」では、(うちの父も参加していた)手作り甲冑隊の作った甲冑を着て、参加されていました。
ほぼ毎年観に行っていたので、馬の上から、街の人々に声をかけられている姿が、とても印象に残っています。
また、「小田原映画祭」のオープニング上映会が、小田原城の銅門(あかがねもん)であるのですが、そこにも、毎年参加されていて、「映画を本当に好きなんだな」という別の一面も見えるお話を聞くことができました。
「桐島、部活やめるってよ」が上映されたときには、この映画に出演されていた東出昌大さんがとても気に入られたようで「大スターになる」と言われていましたが、予言通りになりそうですね。
(わたしは、この映画を見るまで、東出さんの名前も知らなかったんですよね)
小田原のこと、映画のことなど、もっともっといろいろなお話を聞かせてもらいたかったです。
69歳と聞いて、びっくりするほど、若々しくお元気そうだったので、とても残念です。
天国でも、小田原のPRを、、、お願いしなくても、していそうですよね?
小田原の魅力を伝えてくださって、ありがとうございました。
ごゆっくり、お休みになってください。