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【映画と原作の間】『殺人者の記憶法』と『新しい記憶』と原作小説の間で。(ネタバレ有)

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映画『殺人者の記憶法』ポスター
今年に入って観た映画の中で、一番のインパクトを残しているのは『殺人者の記憶法』、そして『殺人者の記憶法:新しい記憶』だ。
もちろん、主演俳優であるソル・ギョング氏をはじめとした俳優陣の演技も素晴らしかったのだが、
このふたつのパターンの映画は、「記憶」というシーンのつなぎ合わせ方によって、全く違う「映画」になってしまうという意味で、とても映画的でもあった。
そこが、とてもおもしろかったのだ。

殺人者の記憶法 (新しい韓国の文学)

キム ヨンハ クオン 2017-10-30
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そこで、気になっていた原作小説『殺人者の記憶法』を読んでみた。
主人公のキム・ビョンスの独白になっているので、とても読みやすかった。
だがしかし、読み進めていくと、ほとんどの設定が映画と違っていることに驚いた。
主人公のビョンスが、アルツハイマーの元連続殺人犯で、職業が獣医であること、男性であること、あと靴を反対(左右逆)に履く癖があるらしいことくらいしか、同じ個所がない。(と書いているが、実は、この中にも間違いがある。それもビョンスの記憶違いなのだ。)
あと、もちろん父が男性で、母が女性なのも同じだと言えば、冗談にしか聞こえないだろうが、映画では「姉」だった女兄弟が、小説では「妹」になっているくらい、映画は「あえて小説と設定を変えてきているのではないか?」と思うくらいほとんどの設定が違っていた。
そういう意味では、映画を2パターン観た後でも、充分に新鮮な驚きを持って読むことができる小説だった。

そう言えば、映画を観ながら気になっていたことがある。
主人公ビョンスの年齢だ。
小説の中では70歳となっていた。
主演のソル・ギョングさんは1968年生まれで、今年2018年で50歳。韓国では年齢の数え方が違うので、51歳なのかも。
ちなみに、原作者のキム・ヨンハ氏と共演のオ・ダルス氏も1968年生まれ、監督のウォン・シニョン氏は1969年生まれで、同世代だ。
ビョンスの娘は映画ではウンヒ、小説ではウニという名前だった。(連音?)
映画では銀行員、小説では大学を出て研究所に勤めているという設定だったから、20代前半の設定だろうか。
小説では70歳の設定だったので、アルツハイマーはわかるが、娘の年齢が若過ぎ、孫と間違えられるというようなことも書かれていた。(が、実際は血はつながっていない)
そう考えると、映画の50歳くらいのイメージの方がしっくりくる。ウンヒの母親の設定も。
映画を観た時点では、ソル・ギョングさんの年齢ではアルツハイマーになるのは早過ぎるのでは?と思っていたのだけれど、若年性という場合もあるらしいし、70歳よりは50歳の方が無理がない。
(年齢問題は、ビョンスの父親が軍人の設定なので、「どの戦争の時代か?」が変わってくる。)

先ほど、ちらっとビョンスに「靴を反対(左右逆)に履く癖」があると書いた。
映画『殺人者の記憶法』では、ビョンスのお気に入りの白いアディダスのスニーカーが玄関に置かれているのが写ったとき、左右逆に置かれていた。そういうのに気づいてしまう性質なので、気になってしまった。だが、それだけだった。(と思う)
映画『殺人者の記憶法:新しい記憶』では、娘ウンヒが、ビョンスに靴を左右逆に履いていることを指摘するシーンがあり、答え合わせで当たっていたような気分だった。
小説の中でもその描写が出てくるのだが、靴が左右逆であることを指摘されても、その意味がわからないという感じだった。
個人的に、とても気になっている描写なのだけど、この「靴を反対(左右逆)に履く癖」というのは、何を意味しているのだろう?
ちなみに、小説では、ビョンスのお気に入りの靴が「アディダスの白いスニーカー」であるという描写はなかった。70歳だとすると、年齢が合わないかもしれないし、とても映像的な描写だったのかもしれない。(※「アディダス愛」と言ったら『キングスマン』も忘れずに!)

他には、と言うと、、、何しろ、ほとんど違っているのだから、書き出したらきりがない。

例えば、最初の殺人の被害者は父親で、家族へのDVを止めるための正当防衛とも言えるものだった。これは小説でも映画でも同じで、殺害方法も同じだ。
その後の連続殺人についても、映画では、父親と同じようなDV男を殺害していて、悪のヒーローという感じであり、思わず感情移入してしまった。
だが、小説では、その後の連続殺人については動機や対象もバラバラの様子であり、あまり詳しく書かれてもいなかった。
少し詳しく書かれているウニの両親についても、動機はよくわからない。
そういう意味では、映画の方が一貫性があった。

連続殺人を止めたきっかけとなっている事故については、映画では、「その治療をどうしたのか?」が描かれていなかったので、「もしかしたら、自分で治療したのか?」と思っていた。一応、獣医とは言え、医者だし。(傷口が。。。)
小説では、ちゃんと病院で治療してもらっていたので、ちょっとほっとした。
映画版では、その事故の傷口と、母親の記憶がリンクしている様子があった。
もっとも、このシーンは、最初観たときには理解できなかった。
あまりに衝撃的過ぎて。。。錯乱し過ぎていて。。。
いや、今でも理解できていないかもしれない。
父を殺害する際、母も押さえつけるなど手伝ったはずだが、アイロンで殴られたのではなかったか?その頭の一部分のシーンを観たとき、それはアイロンで殴られた怪我だと思ったのだが、どうやら、連続殺人を止めるきっかけとなっている事故の怪我と、どっちとも取れるような感じがしている。そして、そういうどっちとも取れるようなシーンが他にもあり、わざとそういう作り方をしているような気がするのだ。それは、ビョンス自身が、どちらが本当か、わかっていないということなのかもしれない。
ついでに言うと、母にアイロンで殴られた話は、女性ばかり狙う連続殺人犯だと思っているテジュの記憶として語られていて、それはビョンスが作り出した、女性ばかり狙う連続殺人犯のイメージをテジュに投影しているということだろうか。別人格ということなのだろうか。
そして、最初の殺人の後、母親が出てこない。この回想シーン以外で。

あと、個人的に気になったのは、ビョンスが獣医になるのに、大学に行ったり、開業したりする訳なのだが、
その資金は、どうやって工面したのか?
小説では、軍人の家族がもらえる年金をもらっていたようだが、映画では、父親は行方不明になっていたのでもらえないのではないか?それとも、時代が時代なので、行方不明でも同様なものをもらえていたのか?

それから、映画でオ・ダルスさんの役だったアン署長が、小説では存在しているのか?ビョンスの記憶違いなのか?怪しい存在となっていた。
もうひとり、存在の怪しい人物と言えば、女兄弟の存在だ。会いに行こうとしているが、すでに亡くなっている。しかも、まだ若い頃に亡くなっているはずだが、つい最近まで交流があったようにビョンスは話している。
そもそも終わりに近づいていくにつれ、ビョンスの体験に基づく記憶なのか、ただの妄想なのか?がどんどん怪しくなっていく。
実際、アルツハイマーも進行しているのだろうか?(実際って。。。)
そして、それは、一番身近な存在である娘も同じだった。
これはどういうことか?
血がつながらないのに育てた娘の記憶とは、なんだったのか?
ときどき夢に見るらしい父親同様、幽霊のような存在を感じて生活していたということなのだろうか。

映画『殺人者の記憶法』を観た後の衝撃。
そしてその後、映画『殺人者の記憶法:新しい記憶』を観た後の「騙された!」という衝撃と、記憶=映画のシーンを切り貼りして出来上がった「映画」の特性を活かしたおもしろさ。
小説『殺人者の記憶法』を読み進めていけばいくほど、映画とは、設定が微妙に違いまくっている衝撃。
そして、どれもおもしろいのだ。
しばらく、『殺人者の記憶法』ショックに浸っていたい。
おもしろい体験だった。

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【スカパー!映画部】「マイ・フェア・レディ」4Kデジタルリマスター版を観た!

スカパー!映画部の企画で特別試写会に招待していただき「マイ・フェア・レディ」の4Kデジタルリマスター版を観させていただきました。

myfairlady4k

「マイ・フェア・レディ」と言ったら、オードリー・ヘップバーンが主演の映画くらいの知識しかなく、実は、そういうスタンダードな映画をあんまり観ていなかったりします。
むしろ今回は「4Kデジタルリマスター」というのは「どれくらいきれいになっているものなのか?」という興味の方が強くて応募してしまいました。
そんなわけなので、当日になって「オードリー・ヘップバーンとか、女子の好きそうな女優さんの映画を観て、全然わからなくてブログが書けなかったら、どうしよう?」などと急に心配になっていたのです。

スカパー!映画部試写会 前方スピーカー
▲試写室前方に控えるスピーカー!
真ん中のスピーカーが臨場感を出してました。

が!見始めて、「おおぉ~!」と思いました。
花売りの貧しい女の子が、洗練されたレディに!というのは、たしかにそうなのですが、その過程には、まず第一に言葉の発音(なまり・発声)を矯正するところから始まっていたのですね。
ジョニー・デップ、クリスチャン・ベイルと好きな俳優が、役ごとに言葉の訛りなど話し方から変わってしまうような人なので、何故か、いつも発音やら訛りやらについて書いているように思います。
それには、もうひとつ理由があって、一応英語も勉強していて、イギリス英語の発音を身に着けたいなと思っているので、とても発音や訛りに興味があるのです。
そんなわけで、初めは、あの洗練されたイメージのオードリー・ヘップバーンが、ひどいガラガラ声で訛りの強い言葉で話しているのに面食らい、彼女をレディに仕立て上げる男性が言語学者だということに気付き、「なるほど!」と納得するとともに、「試写会応募して良かった!」と思いました。わたしとしては、すごくツボでした!

それにしても、あの花売りの少女と、最終的にはハンガリーの王女と間違われ、王子とダンスを踊るレディ(そしてその過程)を演じ分けているオードリー・ヘップバーンには、本当に目が離せない!という感じですごかったです。
話すだけじゃなく、歌も歌うし、踊るしね。(ミュージカルということさえ知らなかった)

そう言えば、英語の勉強のために、iPhoneに発音を練習するアプリを入れているのですが、それが永遠に「How are you?」を練習し続けていて、抜け出せないのです。
パーティで、いろいろな人と「How are you?」と挨拶をしているシーンを観て、それを思い出してしまいました。
「How are you?」は、とても大事なんですね。。。
頑張ります。。。

そして、くるくると表情も変わるオードリー・ヘップバーンを観ていて、ずーっと「誰かに似てる」と思っていたのですが、、、
たぶん、ジョニー・デップのマッド・ハッターです。汗
あの役も、昔を回想するときには訛りが出るとか、怒ったり、悲しんだりの表情もくるくる変わり、そして何より、笑ったり、歌ったり、楽しいときの顔がとても可愛くて♪(白塗りだけど)
似てるって言っても、顔が似てるじゃなくて、「役柄が似てる」のかな?
それにしても、オードリー・ヘップバーンが、こんなに話し方や発声を操り、表情も豊かで、花売り娘と洗練されたレディを演じ分けるすごい女優さんだと思っていなくて、目からウロコでした。
本当に、この映画を観て良かったです。

個人的には、、、言語学者のヒギンズ教授、、、ちょっとおじさん過ぎかな?という気もして、「わたしなら誰を配役するか?」と考えていたのですが、、、ハリソン・フォード、リチャード・ギア!
リチャード・ギアで、やっと「プリティ・ウーマン」は「マイ・フェア・レディ」を下敷きにしたお話だったことを思い出しました。
でも、わたしなら、ハリソン・フォード、、、そしてビル・ナイ様がいいですね♪っていうか、じゅうぶんおじさんですね。
いかん、やっぱりコリン・ファースぐらいが程よいでしょうか。。。
っていうか、そこで何故クリスチャン・ベイルを挙げないのか?ってところですが、21歳の女の子が恋するには、ベネディクト・カンバーバッチくらい若くてもいいかもと思います。

スカパー!映画部試写会 スピーカー
▲壁面からは、こちらのスピーカーに囲まれて。。。

さてと、、、行く前に気になっていた4Kデジタルリマスターなのですが、すっごくきれいでびっくりしました。
最近は、映画館でもデジタルで上映されることも多いので、フィルムの感じも忘れちゃいそうですが。。。
あの、線みたいなゴミとかもひとつひとつきれいに除いているんですよね。
あと経年劣化でくすんだようになっているのも色調調整して、明るくクリアな画面になっていると思いました。
そう言えば、字幕が止まってしまい、映画だけ進んでいくというトラブルがありました。
その間は、ほんの少しだけだったのですが、なんとか英語についていけていて、ちょっと嬉しかったです。
映画と字幕は別々なのを同期させて上映しているんでしょうか?
とっても珍しいトラブルでおもしろかったです。

今回観たのは、字幕版でオードリーの声だったのですが、オードリー・ヘップバーンの吹き替えをされている池田昌子さんが、どのように吹き替えされているのかも、とても気になります!
池田昌子さんは、オードリー・ヘップバーンのほかに、「銀河鉄道999」のメーテル役や、「エースをねらえ!」のお蝶夫人役が有名な声優さんで、最近では「綾鷹」のCMのナレーションもされています。
しっとり大人っぽいイメージの池田昌子さんが、ガラガラ声で訛っている花売り娘をどう演じられるのか、それもとても気になりますね!
映画専門チャンネル「ムービープラス」の特集で9月に観ることができるそうです。

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【午前10時の映画祭7】立川シネマツーで「Back to The Future」Vol.1・2・3を観た。

名画をデジタルで観る映画祭「午前10時の映画祭7」という企画で、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をVol.1、2、3と3週にわたり上映していました。
本当は、午前10時から上映するのですが、立川シネマシティでは毎日3回上映していたので、ちょっとゆっくり出掛けて、なんとか3本を皆勤しました!
もちろん、シネマツーのaスタジオで極上爆音上映でしたよ。

バック・トゥ・ザ・フューチャー Vol.1、2、3皆勤

バック・トゥ・ザ・フューチャー」は、実は、1と2は観た記憶があるのですが、3があまり記憶がなくて、「たぶん見てないかな?」というあいまいな感じ。
今回観てみて、「やっぱり観てない」と思いました。
それというのも、3で出てくるクララ・クレイトンというドクが恋に落ち、後に結婚する女性が、ジュール・ベルヌ好きというキャラクターだったからです。
これを、もし観ていたら、忘れるわけがない。
だって、わたしもジュール・ベルヌ大好きだったもの!
ついでいうと、コナン・ドイルも「シャーロック・ホームズ」よりも「チャレンジャー博士」の方が好きでした。
きっと、これを観ていたら、「ドクが理想のタイプ!」とか騒いでいたに違いない!

それと、実は、1、2と観てきて、マーティの恋人ジェニファーや母親のロレインの描かれ方に疑問が。。。
これが80年代なのか?それともハリウッド的なのか?
ジェニファーは、添え物的でしかない。
ロレインは、強気なVol.1はまあいいとして、Vol.2でのビフと再婚したエピソードが酷過ぎる!
※Vol.2は、このロレインを見て「2は観たな」と思い出しました。
そんな後での3で颯爽と登場したクララ!素敵でした。

そして、この映画シリーズを、2016年に観るというのも、実におもしろい!
1985年に公開されたVol.1は、1985年から1955年にタイムトラベルする話で、
1989年に公開されたVol.2は、1985年から2015年にタイムトラベルする話なのだ。
1990年に公開されたVol.3は、1885年にタイムトラベルし、1955年、1985年のエピソードも絡み合い、最終的にドクは時の旅人となってしまう。
もう、この映画で描かれた未来の2015年は、過去になってしまっているのもおもしろい。
そして、今年2016年に公開された「シングストリート 未来へのうた」も1985年アイルランドダブリンが舞台となっています。
しかも、「未来のうた」という副題は、偶然なのか?(日本でつけたものなのか?)
このふたつの映画は、MTV世代にとっては、とても共感できる映画でしょう。
それから、マーティー・マクフライのマクフライ家は、アイルランド移民なのだそうだ。
マク(Mc)っていうのはアイルランド系の名前なんだよね。
1885年のシェイマス・マクフライとマギー・マクフライが移民一世で、アイルランド訛りで話しているらしい。
そう思って見ると、時代がクロスしていて、とてもおもしろい。
アイルランド移民の話は、最近映画になることが多く「ブルックリン」は、1950年代にアイルランドからアメリカ・NYブルックリンに移民する女性の話で、素敵な映画でした。
ジョニー・デップ主演の「ブラック・スキャンダル」は、アメリカ・ボストンに実在したアイルランド系マフィア、ジェームズ”ホワイティ”バルジャーの話で、時代は1970年代~80年代で、IRA(アイルランド共和国軍)へ武器を密輸しようとするエピソードも描かれています。
1984年には、英国各地でIRAによるテロが起きていたようで、アイルランドとイギリスが良好な関係だったとは言えないんですよね。
「ブルックリン」と「ブラック・スキャンダル」。このふたつが、ちょうどよく1950年代と、1980年代をカバーしていて、アイルランドの状況も垣間見れて、いろいろと繋がってくるのも映画のおもしろさです。

それはそうと、Vol.1、2、3と観てきて、特にVol.1は、一本で「完成度が高いな!」と思いながら観ていました。
いろいろな伏線をはりつつ、確実に回収していくタイムトラベルものとして、すごく楽しめました。
すごくアメリカ的ではあるけれど、やはりとてもおもしろい良い映画であることは間違いないと思います。
が、、、やはり最後に、続きそうな雰囲気を残しているんですよね。
そしてVol.2とVol.3は、Vol.1のエピソードも絡めつつ、縦横無尽に過去も未来も飛び交っておもしろかったです。
ずっと「Vol.3を観ていない気がする」ともやもやしていたので、本当にすっきりしました!

そう言えば、微妙な日本贔屓っぽいエピソードがちょいちょい出てきて、今見ると赤面ものです。。。
あの頃、日本は凄かったんですね。。。

立川シネマツーのaスタジオの極上爆音上映で、デロリアンの迫力も感じましたし、この映画は音楽もキーになっているので、それも楽しめました♪
Vol.1のマーティーのロックの歴史を一通り演奏するステージシーンは映画史に残る名場面ですよね。