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ハービー山口さんの写真展「That’s PUNK」&ギャラリートークに行ってきました。

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ハービー山口さんの写真展That’s PUNK」の最終日(今日)、ギャラリートークがあるというので、行ってきました!

ハービー山口「That’s PUNK」展@BOOKMARC
今回は、写真集『You can click away of whatever you want: That’s PUNK』の発売を記念して、マークジェイコブスが手掛ける本屋さん「BOOKMARC」の地下のギャラリーで写真展が開催されていました。
同時期に、パリでも写真展が開催されているそうです。
パリは少し規模が小さくミュージシャンの写真中心ということでした。
そう言えば、ギャラリートークの中でも話されていたのですが、写真を飾っていたら、10枚ほど多くて残ってしまい、前のイベントで靴を展示していた台の上に写真を置いてみたら良かったので、そのまま使わせてもらったそうです。
「おもしろい展示方法だなぁ」と思って見ていたので、そんないきさつがあったのは興味深かったです。

ハービー山口「That’s PUNK」展@BOOKMARC
写真集のタイトルになっている言葉「You can click away of whatever you want: That’s PUNK」は、ハービーさんがロンドンの地下鉄で偶然出会ったジョー・ストラマーさんに「写真を撮っていいですか?」と聞いたら、答えてくれた言葉なんですよね。
「撮りたい時に撮れ!それがパンクだ!」

ハービー山口「That’s PUNK」展@BOOKMARC
ギャラリートークが始まる直前に、視線を感じて振り返ると、入り口の上の踊り場からハービーさんがカメラを構えて手を振られていました!写真に写ってるかなぁ?
ギャラリートークは、ハービーさんが現れ、紹介され、話し始められると、、、どんどんそのまま話が進んでいき、すっかりハービー・ワールド?!
身長184センチのリトル・ハービーさんのお話は、とても楽しくすっかり引き込まれてしまっていました。
そう言えば、後で、その頃のハービーさんが自分で撮ったお写真を見せてもらったのですが(一応前に見たことはある)黒髪のちょっと長髪で、なかなかのイケメン、たどたどしい英語で一生懸命会話しようとしてくれて、素敵な写真を撮ってくれたら、PUNK GIRLにモテるのは当然でしょうね。確かに、小柄でいかにも日本人って感じなのも良かったのかも。

ハービー山口「That’s PUNK」展@BOOKMARC
そもそも、ハービーさんがロンドンに行かれたのは、就職活動でどこにも決まらなかったからで、その時、落としてくれた会社は「先見の明があった」というお話はすごい!
確かに、その時、どこかに就職が決まっていたら、今のハービーさんはいないわけです。
運命って、凄いな。。。
わたしは、ハービーさんほどお話が上手じゃないので、ちょっと種明かししちゃいますが、最後に決め言葉がありました。
写真は、ネガをポジにする
今回のギャラリー・トークは、初めはネガティブなことだったのに、結果としてポジティブに変わることがある、変えることができるというお話でした。
そして、ネガをポジにするのは写真なんですよね。すごい!

ハービー山口「That’s PUNK」展@BOOKMARC

それぞれの写真についての想い出やエピソードを話してくださいましたが、一番印象に残っているのは、パンツ一枚の女性の後ろ姿の写真のエピソード。
実は、その女性は、その当時のハービーさんのガールフレンドだったそうなのですが、、、一時期、シド・ヴィシャスのガールフレンドだったこともある人だとか。(あれ?シド・ヴィシャスだったかな?とちょっと不安に)
その人が、ヴィヴィアン・ウエストウッドとケンジントンのゲイ・バーに飲みに行く約束をしていたんだけど、ピアスを失くしてしまった。実は、彼女は小さい子供がいて、その子にパジャマも買えなくて、自分のTシャツを安全ピンで留めて着させていたのだそうだ。そして、失くしてしまったピアスの代わりに、その安全ピンをつけて、ヴィヴィアン・ウエストウッドに会ったら、ヴィヴィアンに気に入られて、今では安全ピンがパンク・ファッションのモチーフのひとつになっているというはじまりのお話。このエピソードは、あんまり知られていないんじゃないかと思います!
これも、彼女が子供にパジャマも買えなくて自分のTシャツを安全ピンで留めて着させていなかったら、ピアスを失くさなかったら、ピアスの代わりに安全ピンをつけなかったわけです。
ネガティブなことが、その後、安全ピンがパンク・ファッションになるというポジティブな現象を起こしているわけですよね。

それから、わたしが写真展の会場に入るなり、引き寄せられたのが、ダイアナ・スペンサーさんの写真でした。
故ダイアナ妃です。
その写真は、まだ妃に決定する半年くらいも前で、たまたまダイアナさんの住んでいたマンションの住民に知り合いがいて、最近数人のパパラッチが彼女をマークしているから「撮ってみれば?」と、情報を教えてもらったのだそうです。彼女の車が停まっている場所や、毎朝出掛ける時間まで教えてもらったので、彼女の車の前で待っていて、至近距離から写真を撮ることが出来たのだそうです。
しかも、ちょうど記者の人が来ていて、車に乗り込んだダイアナさんに「可能性はありますか?」と聞いたところ、まだ一般人でマスコミ嫌いでもなかったダイアナさんは、丁寧に車の窓まで開けて対応してくれたのだそうです。だから、窓越しじゃなくて、至近距離で撮れているんですよね。
これは、「撮りたいものは、撮っておくのが大事」っていうお話でした。
たしかに、、、あります。何故、あの時、一枚も撮らなかったんだろう、ということが。
ブログなどに載せるつもりじゃなくても、記録として一枚くらいは撮っておいても良かったんじゃないか、っていうこと。。。
もちろん、マナーも大事なんですが。。。むずかしいところです。

ハービー山口「That’s PUNK」展@BOOKMARC

それから、もちろんボーイ・ジョージの写真!
一枚は、部屋でジョージが寝ていて、家主のジーンさんに「早く起きなさい!」と怒られているところらしいです。
ジョージは、お化粧していないので、眉がない。。。
部屋には、マーク・ボランとマリリン・モンローのポスターと、フォトフレームに入ったデヴィッド・ボウイの写真、髑髏がふたつ。。。
この写真を撮ったのは、ニコンのカメラでシャッター音が大きいので、ジョージに気付かれてしまったのだそうです。
なので、その写真は、たったの2枚しか撮っていないらしいです。
というか、それでも2回シャッターを切っているハービーさんが凄い。。。
後の2枚は、ジョージがバスタブで洗濯をしているところと、カメラ目線のナチュラルな写真。
たしか、この2枚の写真は、カルチャークラブで売れて日本に来た時に、ジョージに見せたら「これ、初めて見る」と言ったっていう写真じゃなかったかしら?
今回は、ジョージがすごく喜んで、インタビューなどで売れなくて貧乏だった話をしても誰も信じてくれなくて、「ハービーが貧乏だった時代の写真を撮っていてくれた」と見せて回っていたというエピソードを話してくださいました。
ジョージは、売れなかった時代を知っているハービーさんを、とても特別な存在と思ってくれているようですね。
今回の写真展で写真を使うのも、Twitterでやり取りされて、すぐにOKの返事をくれたそうです。


女王陛下のロンドン (講談社文庫)
▲表紙の写真が「ギャラクシー」と呼ばれているハービーさんの代表作。
これは、ちまちまと読んでいます。
これに、前述のハービーさんの若い頃のセルフポートレートも載っていますね。

他にも、寺山修司さんに褒められたギャラクシーという写真の話もおもしろかったです。
そして、ロンドンに来て9年経ち、(寺山さんにも褒められて)日本に帰ろうかな?と思ったときに、出会ったのが糸井重里さん。その糸井さんが日本に帰ってから「ロンドンにハービーっていうカメラマンがいる」っていう話をしてくれて、菊池武夫さんが仕事で呼んでくれて帰ることになったというお話もおもしろかったです。だって、糸井さん、、、ハービーさんの写真を見ていなかったのだそうです。
それから、何故か、その頃、スリッツというパンクバンドの写真を撮っていたら、メンバーになることになってしまい、ミュージシャンの組合に登録しに行った話もおもしろいです。だって、そのバンドがクラッシュの前座でツアーすることになっていて、そのツアーと、菊池武夫さんの仕事で帰国する日程が重なっていたので、周りの人に、どっちを選んだらいいかと相談して回ったのだそうです。
結局、写真を撮るためにロンドンに来ていたんだから、カメラマンとして日本で仕事をしに行くということになったそうです。いや、普通そうです。
そんなわけで、ミュージシャン組合に入ったけれど、ミュージシャンとしてステージには立たなかったそうです。
だがしかし、、、吹奏楽部でフルートを吹いていたから、そしてフルートを持っていたから、フルートでパンクバンドに参加って、おもしろ過ぎるので、見てみたかった!
あと、菊池武夫さんと糸井重里さんに、日本に帰ってくるきっかけを作ってくれたお礼をずっと出来ていないくて、つい2~3年前にやっとお礼を出来たのだそうです。
そうしたら、「あなたの才能でしょう」と言われたのだとか。
お二人とも、全然、恩着せがましいところがなくて、すごい人は違いますね!
これも素敵なエピソードでした。

そんな感じで、なかなか濃ゆい体験のお話を聞いたのですが、やはり、パンクに限らずかもしれないけど、ロンドンのミュージシャン仲間の世界って、狭いな。。。
さっきのスリッツのリーダーの女の子も、その子のお母さんが、パンクの有名ミュージシャンの彼女だったとか。。。
なんかもう、、、狭くて、濃ゆくて、混乱しそう。。。いや、混乱してる。。。

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最後に、忘れちゃいけない話を。
FMだったかの番組に出られた後に、番組に来たメールが転送されてきたのだそうです。
それは、トラック運転手をしている男性からのメールでした。
その人は、カメラマンになりたくてカメラを持って世界中を旅したのだそうですが、カメラマンになれず、日本で家族が出来て養うためにトラック運転手をしているのだそうです。
ハービーさんの話を聞いて、「今からでも遅くはないだろうか?」と思い始めた、と。
番組は終わってしまっていて、返事をすることも出来なかったので、機会があるたびに、その話をしているそうです。
そうしたら、ある人が、自分の店の地下のスペースが空いているので、ギャラリーをやろうと思っていて、第一弾にはそのトラック運転手の人の写真展をやりたいから、「ハービーさん、絶対その人を探し出してくださいね」と言われているのだそうです。
ハービーさんの、そのトラック運転手さんへの答えは、もちろん「今からでも遅くない」。
トラック運転手さん、お仕事は忙しいだろうけれど、ハービーさんのメッセージが伝わるといいなあ。

そして、最後に「写真は、ネガをポジに変えるんだよ」という名言。。。
これも、ハービーさんが、どなたかに言われた言葉なのだそうですが、、、ぴったり過ぎる。。。

やばい!YACCOさん登場!さすが表参道のヤッコさん! 本当、このフットワークすごい!

ちあぼんさん(@cheersbon)がシェアした投稿 –

それから!ギャラリートーク後、集まった人たちがサインをしてもらったり、写真を撮ってもらったりしている中、、、
その中に、表参道のYaccoさんが!本当にフットワーク軽いです。
会いたい人には会いに行く!そのパワー!そのフットワーク!
撮りたいものは撮る!その瞬発力!
そして、ネガをポジに変える!ポジティブ・シンキング?!
見習いたい、素敵な大人たち!
今日は、本当にハービーさんのお話が聴けて良かった!

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「野田宇太郎、散歩の愉しみー「パンの会」から文学散歩までー」展のギャラリートークに行ってきました。【町田市民文学館 ことばらんど】

町田市民文学館 ことばらんど」で開催されていた「野田宇太郎、散歩の愉しみー「パンの会」から文学散歩までー」展でギャラリートークがあるというので、ふらっと行ってきました。

町田市文学館ことばらんど

町田市民文学館は、前々から興味があったのですが、なかなか行けず、今回が初めての訪問でした。
実は、野田宇太郎(のだうたろう)という人物は、今回初めて知ったのですが、「文学散歩」を考えた人(?)だということで興味を持ちました。
何故なら、わたしは高校時代、図書委員会で図書館報を作っていたのですが、その中に「文学散歩」のコーナーがあったのです。
と言っても、実は、その頃、どんなところを巡って文学散歩をしていたのか、全然思い出せなかったりします。
鎌倉とか行ったような気がするんですけど。
でも、その文学散歩の経験のためか、あちこち歩くのは大好きで、神社巡り(御朱印帖)とか、お墓参り(マーク・ボランや李方子さん等)とか旅に出かけると、どこかしら探しては訪ねていたりします。
最近ではイングレスのポータルになっている歌碑などがあったりしますよね。
その中でも、島崎藤村と与謝野晶子は、いろいろな街に行っても、何かしらの碑があったりして、びっくりさせられます。そのため、つい「ちょっと見に行ってみよう」なんて感じで、ふらっと文学散歩していたかもしれません。

そんな感じで、なんとなく興味を持っていたのですが、またいつものように「もう終わっちゃったかな?」とインターネットで探してみたら、今日3月20日までで、ギャラリートークが午後2時からあるということで、本当にふらっと出かけてきました。
ギャラリートークがある前にも、展示を一周見ていたのですが、やはり、初めて知る人物でもあったので、ギャラリートークを聴いて、とても理解が深めることができました。

野田宇太郎展 @町田市文学館ことばらんど

野田宇太郎という人は、九州で生まれ、仕事の傍ら、詩人として活動をしていた人で、30過ぎに縁あって、東京で編集者をするため上京してきたそうです。編集者時代は、渋谷や吉祥寺に住んでいたそうです。この頃が、ちょうど戦前~戦中の頃です。戦中も続いた唯一の文芸雑誌「文藝」の編集長をしていたそうです。
編集者時代に見出した作家のひとりが下村湖人だったそうです。下村湖人の『次郎物語』は、わたしが小学校高学年で初めて読破した長編小説です。野田宇太郎さんがいなかったら、あの『次郎物語』に出会えていなかったんですね。
また、サン=テグジュペリの『戦う操縦士』なども紹介していたそうです。サン=テグジュペリは『星の王子様』が大好きで、箱根の「星の王子様ミュージアム」はもちろん、ドラマのロケ地でもある(というか、ドラマを見ながら「星の王子様だ!ここ行きたい!」と思っていた)韓国の加平(ガピョン)の「プチフランス」にも行ったくらいです。これも一種の文学散歩かもしれません。

その後、町田に移り住んだ頃は、研究者としての活動が多くなっていたようですが、その第一弾が「天正遣欧少年使節団」についてだったそうです。「天正遣欧使節団」をはじめ、日本におけるキリスト教についても、少し興味はあり、昨年ちょうど伊東マンショの肖像画を見ることができたり、スコセッシ監督の映画『沈黙』※も見ていたので興味深かったです。
また『五足の靴』という、与謝野鉄幹がまだ学生で無名だった木下杢太郎北原白秋平野万里吉井勇の4人を連れて九州を旅した記録についても研究していたそうです。九州は、野田宇太郎の故郷でもあり、この旅で巡られたのが南蛮文化・キリシタンの文化の地だったそうです。この旅の経験から、北原白秋は『邪宗門』を書き、木下杢太郎は『南蛮寺門前』という戯曲を書いたそうです。先ほどの「天正遣欧使節団」の研究も、野田宇太郎が尊敬していたという木下杢太郎の研究を引き継いだものであったそうで、この旅ともつながっていきます。
そして、もしかしたら、この「南蛮文化を巡る旅」というのが、「文学散歩」のヒントにもなっていたのではないかと思いました。

文学散歩」は、野田宇太郎が、戦争により変わってしまった東京の街を歩き、失われていく文学の痕跡などを巡りながら、本にまとめたものでした、第一弾の本は、箱入りの豪華な作りだったそうです。その後、文庫版が発行され、これが大ヒットしたそうです。後に、ラジオ番組やテレビ番組にもなったくらいだそうです。また、小田急バスで巡る文学散歩バスツアーなども企画され、野田宇太郎が解説をしていたそうで、どれくらいの大ブームだったかが伺えます。

新東京文学散歩 漱石・一葉・荷風など (講談社文芸文庫)
by カエレバ

そして、もうひとつタイトルになっている「パンの会」ですが、明治時代の文学・美術を中心とした芸術家たちの集まりで、隅田川をセーヌ川に見立てて、隅田川の近辺で集まっていた会だそうです。ちなみに「パン」は牧神のパンの方で、食べる方の小麦粉のパンではないようです。この「パンの会」に、先ほどの『五足の靴』の北原白秋、木下杢太郎、吉井勇らが参加していたというつながりもあるようです。
この隅田川沿いのゆかりの地を巡るコースも「文学散歩」に入れられているそうです。

またこの「パンの会」のメンバーでもある石井柏亭(いしいはくてい)や、「文学散歩」の挿絵を描いた織田一磨(おだかずま)、木村荘八(きむらしょうはち)などの絵も飾られ、ランプの灯りに照らされる新しい時代の東京の風俗を感じることもできました。
そういえば、「パンの会」の会合の絵を描いた木村荘八ですが、実は、その当時は中学生だった(?)とかで、本当は参加していないのに、自分を真ん中に大きく描いていたのだそうです。兄である木村荘太がメンバーで、「パンの会」に憧れていたようなのですが、その兄は後ろに小さく描かれていました。

このように、いろいろなことに関わっているように思える野田宇太郎ですが、それぞれが影響を与え合って、関連しあっているのも感じられました。これも、ただ展示を見ていただけではわからなかったと思います。今回のギャラリートークは、とても興味深く、いろいろな関係を知ることができました。

そして、また、自分の「散歩好き」も認識したので、文学に限らず、ロケ地巡りや、お墓参り(「掃苔」”そうたい”と言うらしい)、神社巡りやお城巡りなど、「いろいろなところを歩いて、ブログに書いていくことも意識してやっていきたいな」と思いました。

※「町田市文学館ことばらんど」は、『沈黙』の原作者である遠藤周作氏が亡くなったときに、町田市に蔵書や遺品が寄贈されたことがきっかけで出来た施設だそうです。

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