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映画『ヴィクトリア女王 世紀の愛』若きヴィクトリア女王、、、その後も知りたい。

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『ヴィクトリア女王 世紀の愛』を観ました。
やはり、ヴィクトリア朝を知るには、ヴィクトリア女王からですよね。
この映画は、若き日のヴィクトリア女王とアルバート王子との「世紀の愛」を描いたもの。
そこで描かれる若きヴィクトリア女王は、現代の英国女性にも通じる自立しプライドを持った女性でした。カッコイイ!

と言っても、たまには「あなたは強いのではない。強情なのよ」と諭されたり。。。
「見かけより強い」と言ったことを引用されて、逆に励まされたり。。。
でも、本当に国を、国民を思う余り、行き過ぎてしまったり、また、周りに利用されていて思うように行かなかったり。。。
そんな中、ひとりで、孤独感や不安を感じていたのだろうな。
そのとき、信頼している首相のメルバーンは、はぐらかすのに、同じように国民の生活を考えてくれ、具体的なことまでも考えてくれるアルバート王子は、同じ方向を向いているっていう信頼感を感じさせたのではないだろうか。

映画の中では、アルバート王子が、自分の好きな小説やオペラを覚えて、話を合わせてきていることに気付くヴィクトリア。さらに気付かれたことに気付いたアルバート。。。
というか、本当は自分の好きなオペラをヴィクトリアも好きだった!なのに、教育係の言うように話を合わせてしまったので、アルバートは後悔したんじゃないだろうか。
このあたりで、完全にアルバートの方が、ちょっと勝気だけど、自分と同じように孤独感を抱えているヴィクトリアに魅かれてしまっているようだ。
映画の中では、まだヴィクトリアは決めかねている感じだったけれど、、、実際には、アルバートが帰った後、アルバートを紹介してくれたことに感謝する手紙を送っていたらしい。老国王ウィリアム4世のおすすめの王子とか、ダンスを踊らないといけない王子などもいたようなので、自分が幸せになれる人に出会えたという想いがアルバートに対してはあったのだろうな♪
出会いは、周りが政略結婚の目論見だったのかもしれないけど、意外にもお互いに、ほぼ一目惚れ状態で、微笑ましいくらいだ。

が、、、今度は逆に、アルバート王子が出来過ぎで、メルバーンが失脚した後、メルバーン派のヴィクトリアに嫌われているピール首相などは、しきたりにとらわれないアルバート王子の方に話をして進めてしまうので、ヴィクトリアが怒ってしまったり、なかなかうまく行かない。。。
そんな夫婦喧嘩の中でも、公務に出掛ける馬車上で、ヴィクトリアがピストルで狙われたのを庇い、被弾するアルバート王子。。。
この頃、アルバート王子は、ヴィクトリア女王の夫というだけで、本当に何も位がなかったらしい。本当にアルバート王子は、ヴィクトリアの欠点も含めて、愛していたんだろうな。
本当におとぎ話の王子様みたいじゃないか。。。
いや、それ以上の、本当に出来過ぎなくらいの王子様。。。
ロマンチックなお話は、とても良かった。
その後の、子だくさんの話や、ヴィクトリア女王は残りの半生を42歳で亡くなってしまったアルバート公の喪に服していたとか、再婚もしていないとかもいいんだけど、、、アルバート公が仕切って成功したロンドン万博のこととかをもっと知りたかったな。
ヴィクトリア女王は、81歳まで生きてるので、アルバート公といたのは、人生のほんの4分の1の期間だったなんて、ちょっと悲しい。
ヴィクトリア女王の大河ドラマとかあったら見るんだけどな。

ヴィクトリア女王 世紀の愛 [DVD]
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「野田宇太郎、散歩の愉しみー「パンの会」から文学散歩までー」展のギャラリートークに行ってきました。【町田市民文学館 ことばらんど】

町田市民文学館 ことばらんど」で開催されていた「野田宇太郎、散歩の愉しみー「パンの会」から文学散歩までー」展でギャラリートークがあるというので、ふらっと行ってきました。

町田市文学館ことばらんど

町田市民文学館は、前々から興味があったのですが、なかなか行けず、今回が初めての訪問でした。
実は、野田宇太郎(のだうたろう)という人物は、今回初めて知ったのですが、「文学散歩」を考えた人(?)だということで興味を持ちました。
何故なら、わたしは高校時代、図書委員会で図書館報を作っていたのですが、その中に「文学散歩」のコーナーがあったのです。
と言っても、実は、その頃、どんなところを巡って文学散歩をしていたのか、全然思い出せなかったりします。
鎌倉とか行ったような気がするんですけど。
でも、その文学散歩の経験のためか、あちこち歩くのは大好きで、神社巡り(御朱印帖)とか、お墓参り(マーク・ボランや李方子さん等)とか旅に出かけると、どこかしら探しては訪ねていたりします。
最近ではイングレスのポータルになっている歌碑などがあったりしますよね。
その中でも、島崎藤村と与謝野晶子は、いろいろな街に行っても、何かしらの碑があったりして、びっくりさせられます。そのため、つい「ちょっと見に行ってみよう」なんて感じで、ふらっと文学散歩していたかもしれません。

そんな感じで、なんとなく興味を持っていたのですが、またいつものように「もう終わっちゃったかな?」とインターネットで探してみたら、今日3月20日までで、ギャラリートークが午後2時からあるということで、本当にふらっと出かけてきました。
ギャラリートークがある前にも、展示を一周見ていたのですが、やはり、初めて知る人物でもあったので、ギャラリートークを聴いて、とても理解が深めることができました。

野田宇太郎展 @町田市文学館ことばらんど

野田宇太郎という人は、九州で生まれ、仕事の傍ら、詩人として活動をしていた人で、30過ぎに縁あって、東京で編集者をするため上京してきたそうです。編集者時代は、渋谷や吉祥寺に住んでいたそうです。この頃が、ちょうど戦前~戦中の頃です。戦中も続いた唯一の文芸雑誌「文藝」の編集長をしていたそうです。
編集者時代に見出した作家のひとりが下村湖人だったそうです。下村湖人の『次郎物語』は、わたしが小学校高学年で初めて読破した長編小説です。野田宇太郎さんがいなかったら、あの『次郎物語』に出会えていなかったんですね。
また、サン=テグジュペリの『戦う操縦士』なども紹介していたそうです。サン=テグジュペリは『星の王子様』が大好きで、箱根の「星の王子様ミュージアム」はもちろん、ドラマのロケ地でもある(というか、ドラマを見ながら「星の王子様だ!ここ行きたい!」と思っていた)韓国の加平(ガピョン)の「プチフランス」にも行ったくらいです。これも一種の文学散歩かもしれません。

その後、町田に移り住んだ頃は、研究者としての活動が多くなっていたようですが、その第一弾が「天正遣欧少年使節団」についてだったそうです。「天正遣欧使節団」をはじめ、日本におけるキリスト教についても、少し興味はあり、昨年ちょうど伊東マンショの肖像画を見ることができたり、スコセッシ監督の映画『沈黙』※も見ていたので興味深かったです。
また『五足の靴』という、与謝野鉄幹がまだ学生で無名だった木下杢太郎北原白秋平野万里吉井勇の4人を連れて九州を旅した記録についても研究していたそうです。九州は、野田宇太郎の故郷でもあり、この旅で巡られたのが南蛮文化・キリシタンの文化の地だったそうです。この旅の経験から、北原白秋は『邪宗門』を書き、木下杢太郎は『南蛮寺門前』という戯曲を書いたそうです。先ほどの「天正遣欧使節団」の研究も、野田宇太郎が尊敬していたという木下杢太郎の研究を引き継いだものであったそうで、この旅ともつながっていきます。
そして、もしかしたら、この「南蛮文化を巡る旅」というのが、「文学散歩」のヒントにもなっていたのではないかと思いました。

文学散歩」は、野田宇太郎が、戦争により変わってしまった東京の街を歩き、失われていく文学の痕跡などを巡りながら、本にまとめたものでした、第一弾の本は、箱入りの豪華な作りだったそうです。その後、文庫版が発行され、これが大ヒットしたそうです。後に、ラジオ番組やテレビ番組にもなったくらいだそうです。また、小田急バスで巡る文学散歩バスツアーなども企画され、野田宇太郎が解説をしていたそうで、どれくらいの大ブームだったかが伺えます。

新東京文学散歩 漱石・一葉・荷風など (講談社文芸文庫)
by カエレバ

そして、もうひとつタイトルになっている「パンの会」ですが、明治時代の文学・美術を中心とした芸術家たちの集まりで、隅田川をセーヌ川に見立てて、隅田川の近辺で集まっていた会だそうです。ちなみに「パン」は牧神のパンの方で、食べる方の小麦粉のパンではないようです。この「パンの会」に、先ほどの『五足の靴』の北原白秋、木下杢太郎、吉井勇らが参加していたというつながりもあるようです。
この隅田川沿いのゆかりの地を巡るコースも「文学散歩」に入れられているそうです。

またこの「パンの会」のメンバーでもある石井柏亭(いしいはくてい)や、「文学散歩」の挿絵を描いた織田一磨(おだかずま)、木村荘八(きむらしょうはち)などの絵も飾られ、ランプの灯りに照らされる新しい時代の東京の風俗を感じることもできました。
そういえば、「パンの会」の会合の絵を描いた木村荘八ですが、実は、その当時は中学生だった(?)とかで、本当は参加していないのに、自分を真ん中に大きく描いていたのだそうです。兄である木村荘太がメンバーで、「パンの会」に憧れていたようなのですが、その兄は後ろに小さく描かれていました。

このように、いろいろなことに関わっているように思える野田宇太郎ですが、それぞれが影響を与え合って、関連しあっているのも感じられました。これも、ただ展示を見ていただけではわからなかったと思います。今回のギャラリートークは、とても興味深く、いろいろな関係を知ることができました。

そして、また、自分の「散歩好き」も認識したので、文学に限らず、ロケ地巡りや、お墓参り(「掃苔」”そうたい”と言うらしい)、神社巡りやお城巡りなど、「いろいろなところを歩いて、ブログに書いていくことも意識してやっていきたいな」と思いました。

※「町田市文学館ことばらんど」は、『沈黙』の原作者である遠藤周作氏が亡くなったときに、町田市に蔵書や遺品が寄贈されたことがきっかけで出来た施設だそうです。

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横濱媽祖廟前に偶然見つけた「熊猫飯店」でランチ。黒酢豚定食はリーズナブル♪パンダいっぱいの店内もかわいい♪

3月4日(土)に中華街で時間を潰していまして、とりあえず媽祖廟へ行ってみました。
月下老人に(門の外から)「会えますように!」と念を送ったんですが、そっちの方は未遂でした。門の外からだったのがダメだったかもしれません。。。

ぱんだや 横濱媽祖廟 @横浜中華街
そして、媽祖廟の反対側に、パンダグッズのお店「ぱんだや」があり、そのお隣には「熊猫飯店」という中華料理屋さんがありました!

熊猫飯店 外観 @横浜中華街
「時間的にランチでも食べるか!」とメニューを覗いてみると、黒酢豚定食が900円とリーズナブルだったので、あっさり決めたのですが、ドアには新垣結衣さんの写真があり、どうやらブームになった「逃げ恥」のロケがあったお店のようでした。
熊猫飯店 @横浜中華街
「混んでるのかな?」と思ったけれど、あっさり案内されました。
その後入ってくるお客さんは、予約の団体さんの他は、たしかにカップルが多い気もするけど、ドラマの影響があるのかどうかまではわからない感じで、わりと落ち着いた普通の中華街の中華飯店の感じでした。
お店で流れていたのが、テレサ・テンの曲のインストだったので、てっきり台湾料理かと思っていたのですが、(冬だから休業中だったけど、外向けにジュースやかき氷のスタンドもあったし)広東四川料理のお店だったんですね。

さて、メニューですが、酢豚好きのわたしは、外のメニューでも見ていた「黒酢豚定食」で決まりです。
そして、お料理を待っている間、テーブルに置いてある、たくさんのパンダグッズに癒されていました。
熊猫飯店 テーブル @横浜中華街
かわいい♪
お店の名前は普通に「くまねこ」だと思っていたのですが「パンダはんてん」だったのですね。。。
ドラマでどういう風に使われたか、わからないですが、たしかに、この可愛さなら女の子が興味を引きそうです。
ロケの写真を見ると、新垣さんの後ろの窓越しに媽祖廟らしき建物が写っていたので、窓際の席なのだと思いますが、一階にはそのような席はなかったので、二階の席なのだろうと思います。
初めにちらっと書きましたが、媽祖廟に祀られている神様のうちの一人、月下老人は縁結びの神様なので、そちらに参拝してから、ランチをするのにいいコースかもしれませんね。
ちょっと遅い時間だったので、ランチは終わっていたのですが、650円で大変リーズナブルのようでした。

熊猫飯店 黒酢豚定食 @横浜中華街
黒酢豚定食は、とても美味しかったです。
ちょっと黒酢が独特な味ですけど、味に対してのコストパフォーマンスは高いと思います。
卵スープ、白飯に、ザーサイ、春巻き1本、杏仁豆腐が付いていました。
中華街もお店がたくさんあるので、美味しくてリーズナブルなお店は知っておくといいと思います。
あと、本当に迷子になっちゃうので、目印となる建物(媽祖廟)とかも大事ですよね。

横濱媽祖廟 @横浜中華街
▲媽祖廟は、航海を見守る神様を祀った道教寺院です。華僑の住む世界各地の街で祀られているそうです。

熊猫飯店 (ぱんだはんてん) パンダ飯店


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