カテゴリー別アーカイブ: MorganFisherの世界

グレン・マトロックさん来日、ディスクユニオン下北沢の夜。

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元Sex Pistolsのグレン・マトロックさんが来日され、新譜発売のキャンペーンの一環で下北沢のディスクユニオンで無料のインストアライブがあるというので、ダメ元で行ってみました。
始まりが少しゆっくりの20時だったので、いったん家に戻り、ちょっと着替えて出掛けてみました。

下北沢駅に着いたら、駅前が全然変わっているというか、出口の場所から違っていてびっくり!
ここのところ、と言っても、それもちょっと前だけど、モーガン・フィッシャーさんのトーク・イベントで北口を何回が利用していたのですが、南口側が、こんなに変わっていたとは思いませんでした。
新しい出口は南西口だそうです。
それでも、少し行くと見慣れた下北沢の街が現れ、、、ただでさえ方向音痴なので、ちょっと遠回りしていたみたいですがなんとかディスクユニオン下北沢店に到着しました。

GlenMatlock  At DiskUnion下北沢

店に入って見ると、入り口のすぐ脇のスペースで、グレン・マトロックさん自身が簡単なリハ(音合わせ?)を始められ、入口から出ていかれました。
奥の方まで行ってみなかったのだけれど、入り口側からも2列目くらいで、ものすごく近くで見ることが出来ました。
が!1列目は背の高い人だったので、間からでしたけど。
それでも近い!

GlenMatlock × MorganFisher At DiskUnion下北沢
ついで言うと、その最前列の並びに、制服のシャツっぽい、眼鏡をかけた割と真面目そうな男の子が陣取っていました。
パンクスのイメージとは程遠かったけれど、それが逆に熱を感じさせました!
新しい若いファンも増えるといいね♪

GlenMatlock × MorganFisher At DiskUnion下北沢

そんな感じで開演を待っていると、なんとモーガン・フィッシャーさんが来店され、わたしのすぐ後ろに。。。
びっくりしていると、モーガンさんは、店内を移動して奥の方へ。
そんな訳なので、始まる前にふたりで打ち合わせっていうのはなかったけれど、それ以前にメール等でやり取りされていたんでしょうね。

わたしの知っている(ダムドもカバーしてる)「Pretty Vacant」(グレン・マトロックさんが唯一ひとりで書いた曲とのことなので作曲と歌詞もかな?)も演奏され、コール&レスポンス♪楽しかった。
モーガンさんは、最後の曲で一緒に歌を歌われ、Small Facesの曲とアナウンスされました。
って、ライブのレポートが少なくてすみません!
ライブは30分きっかり。
アコースティックギター一本をかき鳴らして歌う!
短いけれど、結構盛り上がって楽しいライブでした。
※アコースティック?どんなライブに?という不安がありました。全然違いました!

GlenMatlock × MorganFisher At DiskUnion下北沢

ライブ終りに、グレン・マトロックさん自身が、自分のギターに刺さっているシールドを抜いて、巻いている姿が素敵でした。
その後、新譜購入者へのサイン会があるようだったので、帰りました。
そのサイン会も長机が用意されていたけれど、椅子に座るのではなく、長机自体に腰かけてサインしているグレン・マトロックさんの後ろ姿の写真を、後日見ました。
短時間ではあったけれど、すごく気さくで偉ぶらない人柄が伝わってきました。
行って良かったな♪

GOOD TO GO
by カエレバ
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「MorganFisherの世界」(MorganとUKのROCK HEROたち)Talk Showで思ったこと。

このイベントがあったのが、5月。。。
その後、バタバタしていて、書きそびれていたのですが、、、
やはり、この8月中には、書かなくては!と思いました。
※8月22日に、このときにも話に出ていた第2回が開催されるのも決定しています。

8月6日の朝、モーガンさんが、Facebookで書き込みをされていました。
モーガンさんの友達のお父さん(Derrick Woollacottさん)が、広島の原爆投下の3ヵ月後に、英国空軍の写真家として、日本に派遣されたそうです。そのときに撮影した写真を紹介されていました。
その写真は、原爆ドームが遠くに見える川で、ふたりの少年が魚釣りをしている様子でした。
※2015年12月5日から2016年1月8日まで、日本外国特派員協会で、写真展が開かれるそうです。

モーガンさんが、8月6日という、広島に原爆が投下された日を覚えていてくれて、そのことにFacebookで触れてくれた。
それがとても嬉しかったです。

5月のイベントのお話は、意外な話から始まりました。
1939年~1945年、この期間は、第二次世界大戦World War II)中でした。
この時代というのは、実は、この日、紹介されたロックヒーローの生まれた時代でもあったのです。
モーガンさん自身は、1950年生まれなので、すこし後になります。

モーガン・フィッシャーさん

日本と英国は、このとき敵軍になるのですが。。。(そんなことは二度とないようにしたいですね)
ロンドンでも大空襲があったそうです。
アメリカの本土には、空襲がなく、そこがイギリスとは大きく違う点だそうです。
そして、イギリスは、建築が石で出来ていますから、瓦礫の山が、しばらく残っている状態だったそうです。
日本の木製の建築のように燃えてしまうこともないので、日本のように「焼け野原」とはならないのです。
戦後、すこし経ってから生まれたモーガンさんも、そんな残っている瓦礫の山で遊んでいた記憶があるそうなので、かなり遅くまで残っていたと思われます。

戦争の中で生まれ、戦後の瓦礫の中で遊んで育った子供たち、そして、ちょっと後に生まれたモーガンさんが、ROCKと出会って、作っていった音楽とムーブメントが”グラム・ロック”。
初めて聴くお話がいっぱいのトークショーでした。
もちろん、キーボードも傍らに置き、ときどき弾きながら、歌いながら(?)、ビデオを流しながら、お話は「日本語で頑張ります」と、ほとんど日本語で話してくださいました!
すっごく楽しいトークショーでした。

終わりそうな雰囲気を醸し出していますが、終わりません。

モーガンさんの幼少時代

モーガンさんが小学生1年生のときに見ていたのが「シックス=ファイブ・スペシャル」(BBC)という番組で、これを見ていて「ROCKいいな」と思ったそうです。
この頃の、アメリカから入ってきたROCKと、イギリスでアレンジされたROCKの違いなどを、ビデオで較べてみたりしておもしろかったです。
ちなみに曲は「Train kept a rollin’」でした。
わたしは、エアロスミス、ハノイロックス、そしてシーナ&ロケッツの「レモンティー」で知っている、いろいろなバンドがカバーしている曲です。
原曲がロカビリーだなんて知らなかった。
そう言えば、ヤードバーズがカバーした「Train kept a rollin’」が、ヤードバーズを好きだったエアロスミスにカバーされて、アメリカに戻るというのも、その間に、アレンジがだいぶん変わってしまっているのも、おもしろいですね。

そして、この頃、イギリスで流行っていて、「シックス=ファイブ・スペシャル」でバンドが紹介されていたのが「スキッフル」というジャズやブルーズ、カントリー・ミュージックなどがもとになったアメリカ発祥の音楽だそうです。
何故か、手作りの楽器などを使うのも特徴らしいです。
洗濯板などを楽器にしちゃうみたいです。
このあたりも、「戦後で、楽器などがない、でも音楽がやりたい」というのがわかりますね。
このスキッフルで重要視されるのがギターで、ギターがメインのバンドでなのだそうです。
ちなみに、ジミー・ペイジが初めて出演したTV番組で、そのとき、13歳だったそうです。
そうそう、イギリスのバンドは「ギターバンド」と言われることが多いですが、このスキッフルがギター重視だったことが、影響しているとモーガンさんは言われていました。
これも初めて聴くお話でした。

この頃、モーガンさんの好きな曲は、ビートルズの「She Loves You」。
ピアノのおけいこをしていたそうですが、この頃、ジャズ・オルガンも流行っていたそうです。
それで、、、モーガンさんんもオルガンをやるんですよね。
モーガンさんの肩書きは「オルガン奏者」です。
聴いたときは、「おー!」と思ったけど、いまいち情報薄いですね。。。
でも、何故「オルガン奏者」なのか?気になっていたので、その理由がわかって、目から鱗でした。(そこまでじゃない?!)

15歳の頃のモーガンさんは、リズム&ブルーズが好きで、聴いていたそうです。
そう言えば、モーガンさんのデビューは16歳とか?!

ガイ・スティーブンズ(Guy Stevens)という名プロデューサーがいて、彼の手がける音楽が、ロンドンの音楽というイメージだったそうです。
ビートルズの音楽は、リバプール音楽で、やはりちょっと都会的ではない感じ?
MOTT THE HOOPLE」というバンド名も、彼が読んだ本のタイトルから来ているそうです。

MOTT THE HOOPLEというタイトルの本

モット・ザ・フープルもメンバーが出入りしていて、イアン・ハンターさんがオルガンを弾いたりもしていたんですよね。
ここで、「何故、オルガンなのか?」というのもあるのですが。。。
やっぱり、ジャズ・オルガンが流行っていたから、なんですよね?
ある日、メロディ・メイカーに載っていた求人に「オルガン奏者」の募集があったそうです。
そこには「アメリカに行ってツアーの予定がある」ということが書かれていたそうです。
そのオーディションに、モーガンさんは、ワインを片手に行き、、、合格したそうです。
そして、このアメリカ・ツアーの前座が、クイーンと、エアロスミスだったというから驚きです。
ちょっと凄すぎで、言葉がありません。
タイムスリップしたいです。
ジョン・ボーナムが来て、「ジャム・セッションしたい!」と言ったとかいうのも、このときかな。

MOTT THE HOOPLEの「オルガン奏者」求人

凄い話と言えば、モット・ザ・フープル解散の危機に、デヴィッド・ボウイが「解散してはいけない」と言って、プロデュースを申し出て、続けることが出来たのですが、
モーガンさんが入ったときには、ボウイのプロデュースは終わっていたそうです。
が、ハマースミスのライブにボウイが、ミック・ジャガーを連れて来て、バックステージで見て、踊っていたそうです。
これは、ニュースにもなったそうです。
そう言えば、ボウイとミック・ジャガーも仲良しだけど、マーク・ボランとも不仲ではなかったし。。。
何故、Brit Popの頃は、あんなにバンド間が仲が悪かったのか、不思議なくらいです。

この後、モーガンさんは、クイーンのツアーにサポートメンバーとして参加したり、、、
フレディ・マーキューリー追悼のイベントでの、ミック・ロンソンとデヴィッド・ボウイの共演のときの話、、、って、モーガンさん経由で知ってるんだな。

最後は、モーガンさんのいとこのニール・コンティさんが、デヴィッド・ボウイの「HERO」ツアーのサポートをしていたそうで、そのビデオを見ました。
このトークショーのタイトルにもなった「HERO」です。

かなり、もれてる話もありそうですが、とにかくすごい名前が出てきて、おもしろかったです。
モーガンさんの飄々とした日本語も楽しいです。

それと、Glam RockのHEROたちが生まれた時代、育った時代、そういう時代背景が聞けたこと、イギリスのROCKが何の影響を受けて、こうなっていったのか、そんな話がとても興味深かったです。
いくつか、謎が解けた感じがします。

ちょうど1年くらい前になりますが、コレクターズの加藤さんのお話で、「MODSが最初に流行った1958年は、イギリスの徴兵制がなくなった年」というのとあわせて、ROCKの流行も戦争の影響を受けていることがわかります。

PRETTY GREEN×ブリティッシュ・カウンシル コラボ企画「マジカル・ロックンロール・ファッション・ツアー!(カーナビー発~キングスロード経由~青山通り行き)」に参加してきました。

当事者のモーガンさんから、直接お話が聞けたのは、本当に貴重だったと思います。

キーボード弾きながらの、本当に楽しいトークショー&ライブでした♪

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