このイベントがあったのが、5月。。。
その後、バタバタしていて、書きそびれていたのですが、、、
やはり、この8月中には、書かなくては!と思いました。
※8月22日に、このときにも話に出ていた第2回が開催されるのも決定しています。
8月6日の朝、モーガンさんが、Facebookで書き込みをされていました。
モーガンさんの友達のお父さん(Derrick Woollacottさん)が、広島の原爆投下の3ヵ月後に、英国空軍の写真家として、日本に派遣されたそうです。そのときに撮影した写真を紹介されていました。
その写真は、原爆ドームが遠くに見える川で、ふたりの少年が魚釣りをしている様子でした。
※2015年12月5日から2016年1月8日まで、日本外国特派員協会で、写真展が開かれるそうです。
モーガンさんが、8月6日という、広島に原爆が投下された日を覚えていてくれて、そのことにFacebookで触れてくれた。
それがとても嬉しかったです。
5月のイベントのお話は、意外な話から始まりました。
1939年~1945年、この期間は、第二次世界大戦(World War II)中でした。
この時代というのは、実は、この日、紹介されたロックヒーローの生まれた時代でもあったのです。
モーガンさん自身は、1950年生まれなので、すこし後になります。
日本と英国は、このとき敵軍になるのですが。。。(そんなことは二度とないようにしたいですね)
ロンドンでも大空襲があったそうです。
アメリカの本土には、空襲がなく、そこがイギリスとは大きく違う点だそうです。
そして、イギリスは、建築が石で出来ていますから、瓦礫の山が、しばらく残っている状態だったそうです。
日本の木製の建築のように燃えてしまうこともないので、日本のように「焼け野原」とはならないのです。
戦後、すこし経ってから生まれたモーガンさんも、そんな残っている瓦礫の山で遊んでいた記憶があるそうなので、かなり遅くまで残っていたと思われます。
戦争の中で生まれ、戦後の瓦礫の中で遊んで育った子供たち、そして、ちょっと後に生まれたモーガンさんが、ROCKと出会って、作っていった音楽とムーブメントが”グラム・ロック”。
初めて聴くお話がいっぱいのトークショーでした。
もちろん、キーボードも傍らに置き、ときどき弾きながら、歌いながら(?)、ビデオを流しながら、お話は「日本語で頑張ります」と、ほとんど日本語で話してくださいました!
すっごく楽しいトークショーでした。
終わりそうな雰囲気を醸し出していますが、終わりません。
モーガンさんが小学生1年生のときに見ていたのが「シックス=ファイブ・スペシャル」(BBC)という番組で、これを見ていて「ROCKいいな」と思ったそうです。
この頃の、アメリカから入ってきたROCKと、イギリスでアレンジされたROCKの違いなどを、ビデオで較べてみたりしておもしろかったです。
ちなみに曲は「Train kept a rollin’」でした。
わたしは、エアロスミス、ハノイロックス、そしてシーナ&ロケッツの「レモンティー」で知っている、いろいろなバンドがカバーしている曲です。
原曲がロカビリーだなんて知らなかった。
そう言えば、ヤードバーズがカバーした「Train kept a rollin’」が、ヤードバーズを好きだったエアロスミスにカバーされて、アメリカに戻るというのも、その間に、アレンジがだいぶん変わってしまっているのも、おもしろいですね。
そして、この頃、イギリスで流行っていて、「シックス=ファイブ・スペシャル」でバンドが紹介されていたのが「スキッフル」というジャズやブルーズ、カントリー・ミュージックなどがもとになったアメリカ発祥の音楽だそうです。
何故か、手作りの楽器などを使うのも特徴らしいです。
洗濯板などを楽器にしちゃうみたいです。
このあたりも、「戦後で、楽器などがない、でも音楽がやりたい」というのがわかりますね。
このスキッフルで重要視されるのがギターで、ギターがメインのバンドでなのだそうです。
ちなみに、ジミー・ペイジが初めて出演したTV番組で、そのとき、13歳だったそうです。
そうそう、イギリスのバンドは「ギターバンド」と言われることが多いですが、このスキッフルがギター重視だったことが、影響しているとモーガンさんは言われていました。
これも初めて聴くお話でした。
この頃、モーガンさんの好きな曲は、ビートルズの「She Loves You」。
ピアノのおけいこをしていたそうですが、この頃、ジャズ・オルガンも流行っていたそうです。
それで、、、モーガンさんんもオルガンをやるんですよね。
モーガンさんの肩書きは「オルガン奏者」です。
聴いたときは、「おー!」と思ったけど、いまいち情報薄いですね。。。
でも、何故「オルガン奏者」なのか?気になっていたので、その理由がわかって、目から鱗でした。(そこまでじゃない?!)
15歳の頃のモーガンさんは、リズム&ブルーズが好きで、聴いていたそうです。
そう言えば、モーガンさんのデビューは16歳とか?!
ガイ・スティーブンズ(Guy Stevens)という名プロデューサーがいて、彼の手がける音楽が、ロンドンの音楽というイメージだったそうです。
ビートルズの音楽は、リバプール音楽で、やはりちょっと都会的ではない感じ?
「MOTT THE HOOPLE」というバンド名も、彼が読んだ本のタイトルから来ているそうです。
モット・ザ・フープルもメンバーが出入りしていて、イアン・ハンターさんがオルガンを弾いたりもしていたんですよね。
ここで、「何故、オルガンなのか?」というのもあるのですが。。。
やっぱり、ジャズ・オルガンが流行っていたから、なんですよね?
ある日、メロディ・メイカーに載っていた求人に「オルガン奏者」の募集があったそうです。
そこには「アメリカに行ってツアーの予定がある」ということが書かれていたそうです。
そのオーディションに、モーガンさんは、ワインを片手に行き、、、合格したそうです。
そして、このアメリカ・ツアーの前座が、クイーンと、エアロスミスだったというから驚きです。
ちょっと凄すぎで、言葉がありません。
タイムスリップしたいです。
ジョン・ボーナムが来て、「ジャム・セッションしたい!」と言ったとかいうのも、このときかな。
凄い話と言えば、モット・ザ・フープル解散の危機に、デヴィッド・ボウイが「解散してはいけない」と言って、プロデュースを申し出て、続けることが出来たのですが、
モーガンさんが入ったときには、ボウイのプロデュースは終わっていたそうです。
が、ハマースミスのライブにボウイが、ミック・ジャガーを連れて来て、バックステージで見て、踊っていたそうです。
これは、ニュースにもなったそうです。
そう言えば、ボウイとミック・ジャガーも仲良しだけど、マーク・ボランとも不仲ではなかったし。。。
何故、Brit Popの頃は、あんなにバンド間が仲が悪かったのか、不思議なくらいです。
この後、モーガンさんは、クイーンのツアーにサポートメンバーとして参加したり、、、
フレディ・マーキューリー追悼のイベントでの、ミック・ロンソンとデヴィッド・ボウイの共演のときの話、、、って、モーガンさん経由で知ってるんだな。
最後は、モーガンさんのいとこのニール・コンティさんが、デヴィッド・ボウイの「HERO」ツアーのサポートをしていたそうで、そのビデオを見ました。
このトークショーのタイトルにもなった「HERO」です。
かなり、もれてる話もありそうですが、とにかくすごい名前が出てきて、おもしろかったです。
モーガンさんの飄々とした日本語も楽しいです。
それと、Glam RockのHEROたちが生まれた時代、育った時代、そういう時代背景が聞けたこと、イギリスのROCKが何の影響を受けて、こうなっていったのか、そんな話がとても興味深かったです。
いくつか、謎が解けた感じがします。
ちょうど1年くらい前になりますが、コレクターズの加藤さんのお話で、「MODSが最初に流行った1958年は、イギリスの徴兵制がなくなった年」というのとあわせて、ROCKの流行も戦争の影響を受けていることがわかります。
PRETTY GREEN×ブリティッシュ・カウンシル コラボ企画「マジカル・ロックンロール・ファッション・ツアー!(カーナビー発~キングスロード経由~青山通り行き)」に参加してきました。
当事者のモーガンさんから、直接お話が聞けたのは、本当に貴重だったと思います。
キーボード弾きながらの、本当に楽しいトークショー&ライブでした♪