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映画「David Bowie is」を立川シネマツーで。(極音?)立川直樹さんのトークショー付き。

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映画「David Bowie is」を立川シネマツーで上映するというので行ってきました!
立川直樹さんのトークショー付きで、新しく始まる「語るべき映画」というシリーズの第一回ということだったそうです。
立川直樹さんは、鋤田正義さんの写真展のプロデュースもされている方で、トークショーで鋤田さんと一緒に話されているのを観たことがありました。
今回も、デヴィッド・ボウイの話なので、鋤田さんのお話なども。
デヴィッド・ボウイが京都に住んでいた(?)ころ、阪急電車(市電?)に乗っていて、女子高生に「デヴィッド・ボウイだ!」と気付かれて、ボウイが「よく似てるって言われるって言ってくれ」と立川さんに言って、女子高生に伝えたら「こんなところにいるわけない」と納得していて、ボウイが笑っていたとか。たぶん、この時も一緒にいたカメラマンは鋤田さんのはず。
※このエピソード、たしか「(今はない)市電」って言われたような?よく見る電車の前で写真撮ってるのは阪急電車だけれど。(こうやって誤解していくのか。。。)(京都の市電なくなったのは1978年9月。宝焼酎のCMは1980年3月に撮影されたらしい。)

あと、ちらっと言われていたけど、デヴィッド・ボウイが「戦場のメリークリスマス」に出てから日本びいきになったとかいうのは間違いっていう話。(でも、1980年に宝焼酎のCMに出ていて、それを見た大島渚監督が興味を持ったという話を知っていれば、また、そのだいぶん前に寛斎さんの衣装を着ていることからも、時系列的におかしいのがわかりますよね。)「戦場のメリークリスマス」の出演オファーが来た時には、もちろん大島渚監督のことも知っていたのだそう。
※デヴィッド・ボウイが日本に興味を持ったのは、リンゼイ・ケンプ氏からの影響らしい。
いろいろとおもしろいお話が聞けたと思います。

もうひとつ思い出した!
なくなったとき、ドイツ外務省が感謝の言葉をtweetしたことに関するエピソード。
「LOW」から3枚のアルバムを冷戦下のベルリンで製作していたデヴィッド・ボウイは、「ベルリンの壁」の前で野外ライブ(1987年)も行っていた。
そのとき、スピーカーを、壁の向こうの東側(東ドイツ)に向けていたのだそうだ。
そのため、東側の壁の向こうには、若者が集まり、ボウイの音楽を聴きに来ていて、それが、2年後にベルリンの壁崩壊につながったのだそうだ。
そういういきさつがあったので、ドイツ外務省から感謝の言葉が贈られたのだ。
(スパイ活動をしていたわけではないらしい。笑)

それから「David Bowie is」というタイトルは、ジギースターダスト時代のポスターに「David Bowie is Ziggy Stardust」という記述があるそうで、そこから来ているとも言っていないし、偶然みたいな感じのようでしたが。。。
これは、「デヴィッド・ボウイがジギー・スターダストを演じている」というような意味があるそうで、演劇的な手法(?)、やり方を取り入れていたのだそうです。
のちに「Ziggy Stardust」最後のライブで「Rock’N’Roll Suicide」を演奏して、引退を匂わせておいて、別の名前(アラジン・セイン/Aladdin Sane)で復活したところ、バッシングを受けたらしいのだけれど、「Ziggyの役を演じていただけだ」という。。。その後、いろいろな役を演じるように、新しいキャラクターを作っていったのですね。
この辺は、映画「ベルヴェット・ゴールドマイン」を観ると、わかると思います。

David Bowie is@立川シネマツーCスタジオ

映画の方もエピソード満載でおもしろかったです。
ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館での回顧展の最終日に行われたクロージング・ナイトの様子を収めた映画なのだそうだが、回顧展の内容も説明され、クロージング・ナイトのゲストの話も見られて、とても楽しく観ることができ、大満足です!
クロージング・ナイトのゲスト一人目の山本寛斎さんの話は、いきなりYaccoさん(高橋靖子さん)が「NYに来て!」と電話してきて(もちろんNYから)デヴィッド・ボウイのコンサートを観に行ったエピソードから始まり、そのときの感動から、その後の友情の話まで、一生懸命熱く語られていました。出会った頃は、全然英語が話せなくて、気持ちで通じ合ってたみたいな話が良かった。
あ、そうそう、そのNYのライブで、あの有名な黒のジャンプスーツを着て、それが半分に切れるスーツで、歌舞伎の「引抜」をやったというエピソードも出てきますが、そのとき黒子として衣装を引き抜いたのがYaccoさんです。(というようなことを脳内補完しつつ観ました)
あ、Yaccoさんこと高橋靖子さんは、このように山本寛斎さんとデヴィッド・ボウイを会せたり、鋤田正義さんとマーク・ボラン、デヴィッド・ボウイを会せたりしているキーパーソンであり、スタイリストという仕事の第一人者の方ですが、鋤田さんの写真展でトークショーがあると聞けば「近くにいたから来ちゃった」とやってきて、すごく気さくに、みんなとお話してくださる素敵な方です。(だからみんなファンになる!)

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それから、ゲストと言えば、ジャーヴィスですよ。PULPのJavis Cocker。
キュレーターの方に「PULPの~」と紹介されていて、全然出てることを知らなかったので「は?」と思っていたら、ステージに上がって来て、語り出したんですよ。デヴィッド・ボウイについて。
※前にも書いたことありますが、デヴィッド・ボウイと対談したとき「・・・」という反応だったのはファンなら周知の事実なので、「語ってるじゃん!」って感じですよ。でも、たしかにあの対談の内容は「・・・」という反応になると思うけど。ちなみに、イマンと結婚したばかりで「早く子供が欲しいなぁ」みたいな。初対面で、それ言われても、ね。
でも、ジャーヴィスが語り出した内容が、「字が子供っぽくて可愛い」という話だったりしてね。
たしかに、子供が書いたみたいな字でもあり、まんまるくて、可愛い字でしたね。
そんな筆跡もわかる歌詞なども、かなりたくさん見られるみたいで、楽しみです。
っていうか、、、やっぱり「語ってるじゃん!」と突っ込みを入れずにはいられない。。。なんだ、本当は好きだったんじゃん。(笑)
あと、なんか「BOWIE NIGHT」というイベントが各地で開催されてたとか、そんな話もしてたな。

映画の中で出てきたエピソードからも、いくつか。
TV番組に出た時に、ミック・ロンソンの肩に、腕を回して、少し引き寄せるんだけど、その当時では、TVで男性同士がそういうことをするというのは、なかったそうです!
ただ肩を組んだようにしか見えないんですけど。むしろ、非常に男性的に見えるんですけど。
それが衝撃的だったっていう方が、逆に衝撃的なんですけど!

Starman (Top Of The Pops, 1972)
▲ちょうどこのサムネイルのシーンですね。1:00ぐらいからです。(2回ありますね)
このとき着ている衣装の話も出てきましたね。展示もされているみたいです。
あと1:39頃に「You」と言って、カメラを指さししてるのを見た人たちは「自分を指さしている」「自分に歌っている」ように感じたそうです。
そういうパフォーマンスもデヴィッド・ボウイが初めてだったのかな。

あと、戦後15年経っても瓦礫の山だったという話と、そこで遊んでいる子供の映像も出て来ました。モーガンさんが言われていたことを、映像で確認しました。
そして、デヴィッド・ボウイは、中学出て、専門学校に行ったそうで、そのときからバンド活動もしていたりして、16歳でインタビューを受けている映像もあったりしていて、その瓦礫とあんまり変わらない時期なのにも驚きです。
そのバンド活動のときから、バンドのステージや衣装のコンセプトを考えていたりするのもすごいけど、そのスケッチが残っているのもすごいですね。

映画も、観ていて、すごくおもしろかったし、早く回顧展が観たくなりました。
日本では、来年くらいになりそうだとか。
日本でも、トークイベントとかやって欲しいな。
立川さんや鋤田さん、Yaccoさん、寛斎さんあたりのお話は、是非聞きたい!

そう言えば、この博物館で、見学者が止まっている感じ、、、「PULPのPVになんかあったような?」と思ったんだけど、「Common People」っぽいけど、動いてて、、、止まっていないな。。。
そうなると、これか?!

▲Suede – Wild Ones
でも、全然関係ないよね。。。たぶん。。。


▲David Bowie Is V&A Retrospective Exhibition Virtual Tour

THE SHOOT MUST GO ON 写真家鋤田正義自らを語る

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▲宝焼酎CM

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